ええと、思い出すままに書いてきたので、いろいろと順番がぐちゃぐちゃで
よく解らなかったかもしれませんが、
以上のような流れで、朔は新風舎さんの出版賞に作品を応募したわけです。
それからしばらくして、「1次審査通過しました」「2次審査通過しました」
……と連絡を頂き(この時点でまだ、2005年の3月でした)、
5月になって、朔はふとした思い付きからこのブログを作成したわけであります。
まさか初めての投稿作品でここまで残れるとは思っておらず、
もし本当に入賞したらどうしよう?!なんて考えていた頃です(笑)
毎日郵便受けをチェックするのがドキドキで、
新風舎さんのロゴ入り封筒を見ただけで息が止まりそうでした(笑)
もしも、本当に自分の作品が世の中に発表されたら――
どんな気持ちなんだろう、どんな反応が返ってくるんだろう。
それを確かめてみたくて、
そして、何かに夢中になることで、結果を待つ毎日の緊張から解放されたくて、
《閑古鳥の啼く朝に》を開きました。
そうしたら。
最終の結果発表は6月中旬のはずなのに、
5月のうちに全体の結果発表と朔の作品に対する審査コメント、
そして「共同出版」のお話を頂いてしまったのですよ。
びっくりでした(日記にも書いています)。
とりあえず会って話せる日を連絡して下さい、とあったので、
朔は約1ヵ月後の6月の下旬を指定しました。
日記にもあるように、6月には朔たちが亭主になる茶会があるので、
それが終わらなければ大阪に行く余裕などなかったのです。
1人で行く勇気がなかったので、無理やり友達について来てもらい(笑)、
そしてプロデューサーの方にお話を伺ったのですが、
はっきり言って、共同出版は多額の費用が掛かります。
掲示板を通して、とあるお方から共同出版に関する問題(?)について教えて頂いていたので、
朔はその場でのお返事は控えさせてもらいました。
本当に、朔にとっては(たぶん、一般の学生にとっては誰でも)
思わず固まってしまうような金額だったのです。
それで、どうしようと思って、とりあえず大学の先生に相談しました(笑)
先生方は、研究書の出版とか、そういう独自のつてを持ってらっしゃいますし。
はじめ朔は担任の先生に相談したのですが、
瞬く間に話は同じ専攻の先生方に広まってしまい(笑)、
ちょっと恥ずかしかったです。
ですがその結果、新風舎さんが提示する金額は、
「戦略(広告とか宣伝とか)」として示されているものに対して、まぁ妥当なんじゃないか
ということがわかりました。
そこで両親にそのことを話し、金額の大部分を一次負担してもらえることになったので、
晴れて「共同出版」のお話を受けることにしたのです。
(あくまで一次負担です。今朔はそのお金を少しずつ返済しています。)
ちなみに、担任の先生からは、
「本当にいい作品として世に送り出したいなら、もう少し自分で手直しして、
自信をつけてから別の出版社に持ち込む方法もあるよ」
とアドバイスも頂きました。
しかし朔は、あえて高額な費用というリスクを背負って、共同出版に臨みました。
なぜか。
その理由はまた次回。
2006/2/11 12:23
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