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《テト》Ⅱ
7
合唱祭(1)
* 歌姫 *
歌姫、と題しながら、主人公は少年です(男子校が舞台なのだから当たり前)。
ちなみにこの副題には、すべてカタカナ読みがあります。
歌姫=ディーヴァ。独唱=ソロ。歌劇場=オペラハウス。総稽古=ゲネプロ。追走曲=カノン。
画像は、フィレンツェのドゥオモです。
主人公は初登場のフィッツ。
タキのことを嫌っている少年、という設定です。
性格は、お世辞にも朗らかとは言えません。
シオとはまた違った意味で、タキとは正反対な少年です。
冒頭の歌は、作中にもあるようにメンデルスゾーンの『歌の翼に』。
朔の大好きな歌の1つです。
このお話を作ったきっかけは、どうしてもどうしても歌を歌いたくなったからでした。
実は朔自身、小・中・高とずっと合唱を続けていました。
特に高校は毎年全国大会に出場という学校だったので、毎日毎日朝練、時に昼練もありつつ、そして放課後も勿論練習という環境でした。
なので、「歌うこと」は朔にとって当たり前のことでした。
しかし大学に入ってからは歌う機会もなく、しかも下宿にはピアノがないので生の音に触れる機会もなくなり、もうもうもうもうピアノの音が恋しくて歌いたくて、でも実際はできないから、その代わりに(ストレスをぶつけるようにして)書いたお話でした。
なのでこのお話にも、朔の実体験や憧れが多分に織り込まれています。
タキに反感を抱くフィッツ。
それは言ってしまえば、自分にないモノを持つ者への嫉妬かもしれません。
でもフィッツはシオには好感を持っています。
別に、シオとなら対等だとか、シオになら負けていないとか思っているわけではありません。
シオのことは素直に「すごい」と思えるのに、タキの人望には斜に構えてしまう。
この心理の奥に隠されているのは……?というお話です。
* 独唱 *
途中にある日本語の歌詞は、「歌姫」の最初にあったたぶんドイツ語?の歌詞の和訳バージョンです。
つまり『歌の翼に』。
シオに薦められ、ソロを引き受けるフィッツ。
単純といえば単純。
でも普段目立たなくて引っ込み思案な少年がそれを引き受けるのに、どれだけの勇気を要したか……。
かなりの決断だと思われます。
* 歌劇場 *
少しずつフィッツの中に生まれてくる、気概のようなもの。
シオに信頼されている、という思いが、フィッツの中に自信を芽生えさせますが……
フィッツ視点の運びなので、シオとタキの口論について深く触れてはいません。
しかしシオが誰かと口論するのは勿論、それを衆人監視の中ですること自体、極めて稀なケースです。
つまり、いつもの仮面を思わずはずしてしまうくらいタキに心を許しているということです。
そしてそれと同時に、思わず体裁を取り繕うことを忘れてしまうくらいフィッツの声に惚れ込んでいて、それに対する侮辱は許せない、ということ。
ほとんどシオのシンパと言っても過言ではないフィッツですが、この時は自分が話題の当事者であることもあって、あまり深くは頭が回らなかったようです。
本当なら、少しずつフィッツが変わってきていることに気付いても良さそうなものですが。
* 総稽古 *
前半は、実際に自分が舞台に立った時のことを思い出しながら書いていました。
舞台のライトって、びっくりするくらい熱い(暑い)んですよね~。
ちなみに、体を斜にして指揮者の方へ向くことを「サシミ」と言っていたのですが(たぶん舞台用語? でもうちの高校だけかも)、ここは日本ではないのでお話に盛り込むことができませんでした(笑)。
フィッツの立ち位置は、混声合唱で言えば普通ソプラノがいる場所です。
歌っているのは、メンデルスゾーンの『ひばりの歌』。
実際に朔も高校の時に歌いました、日本語で。
朔が使った楽譜のタイトルは『雲雀』だったような気もしますけど。
セルヴィエとフィッツがしている発声練習ですが。
これまた、朔が高校の時に実際に行なっていたものです。
毎朝20分間の発声練習。懐かしいです。
あの頃は、まさか割れはしなかったけどしっかりした腹筋があったなぁ。
ああ~、歌いたい!!
* 追走曲 *
ついに迎えた本番。
どうでもいいことですが、テトたちのクラスの代表として表彰状を受け取ったのはミランです。
最近全く活躍の場がなかったので、ちょこっとお目見えしてみました(笑)
ところでディーハですが。
彼、なかなかいいことを言っているではありませんか。
その言葉を受けてフィッツが何を考え、どういった結論にたどり着いたのか。
それに直接の回答は与えていませんが、その後の彼の行動を見ていただければ。と思います。
舞台袖でのフィッツ、シオ、タキの会話。
タキの真意を知り、フィッツとタキの距離がほんの少し縮んだ瞬間です。
でもこの二人、基本的には現状維持だと思います(笑)
原語での『ひばりの歌』の歌詞の下にあるのは、朔たちが歌った日本語バージョンです。
だから、直接の訳というわけではありません。
高橋義人氏による対訳は、
何と素敵な歌だろう、
おお、ひばりよ、君の歌声は!
君の歌声は空高く飛び立ち
歓喜のなかへと舞い上がる。
ひばりよ、君はぼくを連れてゆく。
君とともにぼくは歌い、
ぼくたちは雲を突き抜け、太陽を目ざして昇りゆく。
ぼくたちは雲を突き抜け、太陽を目ざして昇りゆく。
となっています。
違うっちゃあ違うし、同じ……と言い切るには苦しいかもだけど、そう離れてもいないか…?という微妙なラインですね(笑)
まぁ歌詞なんて、得てして音の数との関係から原語をそのまま訳して歌うのはなかなか難しいものです。
話は脱線しますが、英語の授業で「スキヤキソング」を歌いました。
世界的にも有名な『上を向いて歩こう』の英語バージョンです。
上を向いて歩こう
涙が零れないように
という冒頭からして、英語にすると
It's all because of you but feeling sad and blue
You went away and now my heart is just a rainy day.(たしかこうだったハズ)
という、原曲とは比べものにならない情報の多さを誇り、しかもその内容が原型をまったく留めていない全く別の内容にすり替わっているという不思議現象が起こっているわけです。
日本語で歌うとしみじみしてしまうこの歌は、英語で歌うと「オレが今悲しいのは、オマエにフラれちまったせいだぜ、コンチクショー」という恨み節満載の歌に変身してしまったのです。
あらびっくり。
さて話を元に戻しましょう。
歌っている時の描写は、そのまま朔の実体験であり、そして今となってはもう二度と手に入らないかもしれない憧れそのものです。
舞台で、オーディエンスを前にして歌うという感動。
あまりにも蠱惑的で眩しすぎて、朔は後輩たちの定期演奏会にすら聴きに行けません。
だって、聴いてしまったらまた歌いたいという衝動を抑えきれないことが分かりきっているからです。
このお話を書くことで、自分の中の歌いたいという気持ちをもう少しだけ押さえ込んだ朔でした。
でも、歌いたい。ピアノに触れたい。生の音を聴きたい。
それが偽らざる本音です。
だから、歌えない朔の代わりにフィッツには今後も思う存分歌ってもらいたいと思っています。
2006/8/19 1:04
楽 屋 裏
小松の顛末