追憶・7

「神無月の頃 16」

 病院を抜け出した笹峰が何を求めて学校へ向かったのか、秀一には知る由もありません。
 だから、本文にはその辺りのことが一切書かれていません。
 なぜなのか――なぜなんでしょうね?
 笹峰は、病院か学校にしか居場所がないのだと言います。
 でも、その居場所がどこであれ、人は誰しもそんなにたくさんの居場所を持っているわけではないと思います。
 学生のうちなら、学校、塾、家とか。社会人なら職場、家庭とか。
 秀一なら、家と学校だけです。
 笹峰の場合は、病院へは治療のために通っているわけで、居場所といえるほどではないかもしれません。
 けれどそれをも居場所としてカウントしないと、彼には居場所と呼べるものがありませんでした。
 唯一の例外が学校です。
 しかしこれも秀一の存在がなければ、彼にとっての居場所には成り得なかったでしょう。
 放課後の廊下で笹峰は珍しく長い台詞を吐き、秀一に対して自分を曝け出し、
 秀一は笹峰から信頼(友情、という言葉を敢えて使わないために、散々悩んだ挙句考え疲れてこれにしました)されていると感じます。

 友情――って何だと訊かれれば、朔はそれが何かうまく言葉で説明することができません。
 朔の友達について考えるとき、真っ先に浮かんでくるのは、「大切だ」ということです。
 友達の成功談について聞く時、それが自分のこと以上にうれしく感じたり、
 自分のことを後回しにしても手助けしてあげたいと思ったり。
 『追憶』と、その外伝『在りし日の記憶』で書きたかったのは、そういう結びつき、
 そしてそういう関係を結ぶことのできる「誰か」がいてくれることの幸せ、みたいなものです。
 (今にして思えば、ですが)

 笹峰は、口では自分のことを理解してくれなくてもいい、みたいなことを言っていますが。
 秀一の最後の台詞は、かなり心にきたようですね。
 答えて笹峰が何と言ったのか。
 それは、いまは期間限定で公開した10000Hits感謝記念作品の中で書きました(笑)
 ま、とにかくこの秀一の言葉がきっかけで、笹峰は渡米の決心をしたのです。
 そのことを秀一は知らず、また笹峰も教える必要を感じていないようですが。


「神無月の頃 17」

 一緒にいて、沈黙が苦ではない存在。
 一緒にいることが自然で、ちっとも邪魔じゃない関係。
 そんなものに朔は憧れます。
 それをきっと世間では「かけがえのない存在」って言うんだろうなぁと思ったり。

 笹峰と一緒に校庭を歩いたときの沈黙と、将人と家に帰るまでの沈黙と、秀一はその2つに違いを感じています。
 この回については、あまり多くを語らない方がいいかもしれません。
 皆さんお好きなように解釈して下さい。

 ただ朔が思うのは、朔なら、冒頭の将人との沈黙には耐えられないということです。
 何考えてるのか分からなくて、怖すぎです……。
 それでも逃げずに会話の糸口を見出そうとする秀一は、肝がすわってるのか、危機感知能力が欠落しているのか…さてどちらでしょう。
 思わず秀一の器のでかさに、(なぜか作者であるはずの朔が)感心してしまいました。
 秀一は、基本的なところで人間を信じることのできるヤツなのかなぁと思ったり。
 育ちの良さというものでしょうか。

 最後の風呂場のシーンは、けっこうお気に入りです。
 でもだからこそ、読み返して…誤植に気付いて爆笑してしまいました。
 おもしろいから、そのままにしておきます(笑)


「神無月の頃 18」

 朔は大学進学とともに一人暮らしをはじめました。
 ホームシックを特に意識したことはありませんでしたが、初めて経験する京都の冬の寒さ……
 秋、冬…と、だんだんと日が短くなり、5限が終わって部屋に戻る頃には外はもう真っ暗で、
 部屋に帰っても灯りがついていることはなく、中も外と変わらないくらい寒い……
 そういうのが、すごく淋しいと思ったりもしました。
 実家にいた頃は、誰もいない家に帰るという経験がなかったもので。

 けれど秀一にとっては、そんな毎日こそがこれまでの日常でした。
 祖母が生きていた頃は、将人もそんなに入り浸ってばかりいられなかったので。
 広い母屋でたった一人、ご飯を用意し、自分で風呂の準備をして……
 それが当たり前だった秀一は、今になってようやく、将人の存在のありがたさに気付きます。
 血はつながっていないけれど、それでもやっぱり家族のようなものなのだと、そう感じます。
 そのことを「神無月の頃 17」ではじめて口にし、今食事の準備をしながら、ますますその思いを深めています。

 さて、嵐の到来です。
 季節はずれの嵐は銀木犀を容赦なく揺さぶり、白い花弁を散らします。
 それが意味するものは……
 将人が言う紫ノ宮の先輩とは、言うまでもなく小舟です。